どうやらそれも僕らしい

暑い焦げる、七嶋です。

先日、フォロワーさんと「自分らしさ」について少し話すことがありました。

「自分らしいってなんだか、ひとつじゃないといけない気がする」

現代社会の授業で、「青年期はアイデンティティ(自我同一性)を確立する期間」(エリクソン)だと習った覚えがあります。アイデンティティ、自我同一性、改めて考えると分かるような、分からないような言葉ですね……。ちなみに青年期は12、13~22、23歳頃を指すのだそうです。とっくに終わってら。

心理学者のエリクソンは、アイデンティティのことを、「自分らしさ」または「自分が自分であること」といった言葉で表しています。
つまり、「自分とは何者なのか」という疑問に対して、「自分はこういう人間だ」という自覚を持つことがアイデンティティの始まりであるとし、このことをアイデンティティの確立と呼んでいます。

(中略)

自分が何者かもわからず、将来が不安になり、それまでの自分らしさが失われてしまうようなこともあります。そのような状態のことをエリクソンはアイデンティティの危機と呼びました。

引用元:マナペディア

自分はこういう人間だ、という自覚、ならいくつかあります。例えば「物を書くのが好き」「生真面目」「理屈っぽい」。うーん、ざっと考えたらこのくらいかな。

ところが「らしさ」というのは、自分ひとりだけで決められるものではないようです。友人から「七嶋らしくないね」、そこまで直球じゃなくても「珍しいね」なんて、言われたこともあったりするわけで。

性質的な部分だけでなく(というよりそこから表出される、といった方がいいのかしらん)言動や印象、外見的要素、それらも相まってどうやら「らしさ」と呼ばれる、らしい。

さて、話は少し飛びまして、らしい、には辞書を調べると複数の意味があります。

・らし-い
〘接尾〙
《他の語に付いて形容詞を作る》
《体言に付いて》そのもの本来の特徴をよく備えている意を表す。

・らしい
〘助動 形型〙
⦅〇-らしく・らしかっ-らしい-らしい-〇-〇⦆推量
何かの根拠や伝聞に基づく推量を表す。
また、推量の根拠が確実なものについて婉曲な断定を表す。…のようだ。

(引用元:明鏡国語辞典)

だそうです。自分は名詞(体言)なので「自分らしい」は自分本来の特徴をよく備えている意なのでしょう。

でもさでもさ、と僕は思うわけですよ。「僕らしい」なんて「僕」が何かを行えば、それは全て「僕がやったこと」であって、他者がどんな判断を下そうと、それは「僕らしい」んじゃないのかな、と。

なんだかイメージで言うと「アイデンティティの確立」は風で簡単にぶれていた小さな木が、大きくなってしっかりとした幹を構えるようなことに思えます。もうそれ以上でも以下でもない。みたいな。そこからはみ出すこともないし、縮むこともない。

でもみんなが見ているのは木の皮の部分だけなんですよね。中身は僕しか知らない。いや、僕さえもまあ、把握できていないし、それはどんどん変化していくものでいいじゃない、と。

今からでもどんどん幹が太くなっていっていいじゃない。それどころか突然どこかから枝分かれして、思わぬところに花を咲かせてもいいじゃない。ああ、こういう自分もいたんだなあって知る、それでいいんじゃないのかなって、思うんですよね。

らしいは「まさにそれが自分だ!」という使い方、「どうやらこれも自分のようだ」という使い方、どっちもあり、以上お終い。みたいな、ね(ね?)。

実際僕は青年期に「アイデンティティ」を「僕が為すこと全てだ」と結論付けたという過去があります。だからアイデンティティの確立など存在しない、と。まぁある意味ぶれないけれども(笑)

まあつまるところ、既存の「らしさ」に囚われず、いろんなことに柔軟でいたいし、自由でいたい。どんな自分だって、それは「僕らしい」らしい。

と、とりとめもないことを最近考えたりしてました。それでは。

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